Family Journal

Memories of my brother, written through my own family memories.

すずらんの花

あまり知られていない兄のサラリーマン時代 Part 2

この歳になると、昔の記憶をたどっても、 すべてを100%正確に思い出すことは難しくなってきますよね。 それでも、家族と過ごした時間は、 そう簡単に消えてしまうものではありません。

今のように携帯電話もなく、 パソコンさえ身近ではなかった時代です。 写真や記録として残せるものが限られていたことを、 今になって少し残念に思います。

だからこそ、私の中に残っている記憶を、 少しずつ書き留めておきたいと思います。

兄は京友マートを経て、 乃木坂のカプッチョ、そしてタバックで働いていました。 おそらく4、5年ほどは、 その系列のお店で働いていたのではないかと思います。

タバックは場所柄、 芸能関係のお客様も時折いらしていたように記憶しています。 兄自身も芸能界にいた人ですから、 そのような方々と顔を合わせる機会もあったのかもしれません。

でも、兄はそういう場所でも気取るような人ではなく、 いつも自然体でした。 兄も私も、もともと運動神経は良い方でした。 兄はフットワークが軽く、 どんな仕事でも、動きがどんくさくなかったと思います。

ただ、決して「自分が先に」と前へ出る性格ではありませんでした。 がつがつしているわけでもなく、 よくある芸能人らしい自己アピールや売り込みとは、 まるで無縁の人だったと思います。

少し説明が難しいのですが、 一見、何も気にしていないように見えても、 ちゃんと大事なポイントは押さえていて、 決してダサくならない人でした。

兄妹で暮らした代官山

その頃、兄と私は代官山のマンションを借りて、 一緒に暮らしていました。

今になって思えば、 ずいぶん贅沢なことをしていたものだと、大きく反省しています。 しかも、家賃まで母に出してもらっていました。 今さら自分の未熟さを悔やんでも仕方ありませんが、 兄と少しでも一緒に暮らせたことは、 今ではかけがえのない思い出になっています。

当時の代官山は、 とにかく最先端で、おしゃれな場所でした。 少し歩けば有名なお店があり、 街全体に独特の雰囲気がありました。

兄はむしろ恵比寿側の方を好んでいて、 「なんとなくクリスタル」な雰囲気の代官山には、 あまり関心がなかったように思います。 仕事へ行く時も恵比寿側からタクシーを使い、 電車に乗る時も山手線の恵比寿駅を利用していました。

当時は代官山駅の近くに、 恵比寿ビールやカルピスの小さな工場もありました。

私たちが住んでいたのは、 恵比寿と代官山のちょうど中間あたりで、 本当に便利な場所でした。

侵入者が入ってきた夜

そんな代官山での暮らしの中で、 今でも忘れられない出来事があります。

ある夜、私が自分の部屋で眠っていると、 泥棒と思われる男が部屋の中に忍び込んできました。 途中で気配に気づいて目を覚まし、 恐怖のあまり夢中で大声を上げると、 その男は驚いて逃げていきました。 幸い、命にかかわるような事態にはならずに済みました。

しかし、それは言葉では表せないほど恐ろしい出来事でした。

その時、兄はちょうど家にいませんでした。

後から事情を知った兄は、 恵比寿警察にものすごい剣幕で電話をしていました。

警察の対応が、 兄にとってはあまりにも不十分に感じられたのでしょう。

家族が殺されていたかもしれない。 兄にとっては、それほど重大な出来事だったのです。

それにもかかわらず、 警察の対応がどこか曖昧で、 真剣さが伝わってこなかったのだと思います。 確かに、対応がいい加減過ぎました。

兄はついに我慢の限界に達し、 「この対応をテレビ局に話す」 というようなことまで言っていました。 兄なりの「脅し」ですね。

すると、警察もようやく本腰を入れて動き始めました。 兄に「喧嘩っ早い」という印象があったとすれば、 こういうところから来ていたのかもしれません。 納得できないことに対しては、 相手がきちんと向き合うまで、 決して引き下がらない人でした。

普段の兄は穏やかで、 決して自分から騒ぎを起こすような人ではありません。

しかし、家族が危険な目に遭った時や、 納得できないことがあった時には、 相手が誰であっても黙ってはいませんでしたね。

兄には強い正義感があり、 必要な時には怖いもの知らずになる一面がありました。 家族は正直なところ、 少し冷や冷やさせられることもありました(笑)。

今回は、そんな兄の姿を少しだけ皆さまにお伝えしました。

代官山で兄妹一緒に暮らしていた頃のことを思い返すと、 短い期間ではありましたが、 楽しかったこと、怖かったこと、 いろいろな出来事がありました。

記録として残っているものは少なくても、 家族の記憶の中には、 兄の姿が今もはっきりと残っています。

続く

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